事の起こりは「駅からハイキング<12>逗子駅」。
まわるポイントの一つだった「名越切通し」。
そしてそこへ行く途中にあった「まんだら堂やぐら群」。
なんかとても不思議な風景で気になったけど、その時は非公開中だったので近くで見ることは出来ませんでした。
入口の貼り紙に初夏の公開があると書かれていたので、公開されている時にまた来ようと思ったのが今年3月のこと。
その後、大河を見ていたところ、番組の最後にやる「紀行」の第15回「神奈川県鎌倉市・横浜市」で鎌倉と横浜を結ぶ朝夷奈切通を知り、ふと、逗子(名越切通/まんだら堂やぐら群)鎌倉(朝夷奈切通)横浜と繋がっているのでは?!と思い立ち調べたところ、既にこの経路で歩いている人の記事を発見しました。
・鎌倉の散歩道-17朝比奈切通しと名越切通し
・ワンデイハイキング 朝夷奈切通~名越切通
これを参考にまんだら堂やぐら群の初夏の公開時期と天気をにらめっこしながらお出掛けしてきました。
(完全に未舗装路の山道のため、前日や当日雨だと転びそうなので。)
早速、逗子駅から出ている逗29・亀ヶ岡団地行の京急バスに乗ります。
駅からハイキングでも一度乗っているので迷いません。
途中、バスで新逗子隧道というトンネルを過ぎた先の階段の下に「まんだら堂やぐら群」と書かれた紙が見えました。後で調べたところ、どうやら「名越切通・小坪階段口」というものだったようです。
とりあえず、名越切通への最寄バス停「亀ヶ岡団地北」で下車。
前回もここで降りて名越切通へ行ったので余裕…と思ったのですが、前回もここから道に迷い住宅街をGoogle mapを見ながらウロウロしたため、正しい道があやふやでしたが、一緒に行った友達がしっかり覚えていたので問題なし。
前回は「現在非公開中」とかかれた紙が掛かっていましたが、ちゃんと「限定公開」になっています。
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3月に来た時と比べると、明らかに緑が濃くなっています。
そして前日の午前中まで雨が降ったため、結構道が湿っていて日陰のところはぬかるんでいます。
ちなみに逗子市のホームページを見ると「荒天の際は閉鎖することがあります(朝の段階で警報が複数発令されているときなど)」と注意書きが書かれています。(令和4年度 まんだら堂やぐら群限定公開 -逗子市)
荒天や警報?!…もう大雨注意報どころか、雨が降って傘を差しながらこの道歩くのはちょっと大変そう。受付や案内の人もここまで来るのは大変だ。
前回来た時は人が居ませんでしたが、限定公開中のおかげか、お日和が良いからか、人がちょこちょこいました。
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階段を登って早速、前回は入れなかった中に入ります。
まんだら堂やぐら群は鎌倉時代半ばから室町時代に主に鎌倉とその周辺に多く作られたものの一つで、鎌倉には利用可能な土地が少なく、平坦地にお墓を作ることが禁じられていたため崖に横穴式のお墓を作ったという説があったのですが、最近はこの説は支持されておらず、中国の葬送供養の影響とする説など、諸説あるもののはっきりとした起源はわからないそう。
ちなみに昔はまんだら堂(お堂の建物)があったらしいのですが、江戸時代には既になく、畑になったいたそう。
今回見られるのは上記の地図で示されているA群とB群です。
A群。
A群近景。
B群。
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先は長いのでまんだら堂やぐら群を後にして切通しをひたすら進んでいきます。
この真ん中の岩、崩れて落石したものかと思ったら、敵の馬の走る勢いを削ぐために置かれた「置き石」ってやつらしい。
大切岸を通り、ハイランド住宅を通り過ぎ朝夷奈切通を目指すので、この道を上がっていきます。
「駅からハイキング」ではここから石塀沿いに法性寺に降りていきましたが、今回はまっすぐ(写真で言うと左の方向)へ向かいます。
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お猿畠の大切岸(おさるばたけのおおきりぎし)。
以前は鎌倉幕府が三浦一族からの攻撃に備えるために築いた防御用の壁だろうとされていましたが、平成14年調査で石切り場の跡だと判明したそう。しかも1707年の富士山宝永大噴火による火山灰が積もっていることから、それ以前のものだということまで分かっているらしい。
ちなみに切岸とは山城などで敵の侵入を防ぐ人工的な崖のことを表すらしいので、名前と実情がちぐはぐな大切岸…。
真鶴にも石工の碑があって日本最古の現役石切場があると知ったけど、この辺りでも石を切っていたのね。
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写真で見るとめっちゃ迷いそうですが、一応分かれ道にはちゃんと案内札が出ているのでそれに従って山道を進みます。
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山を抜け、鎌倉市子ども自然ふれあいの森に到着しました。
ここから逗子ハイランド内を抜け下って十二所方向に向かいます。
県道204号を歩き十二所神社の近くから山の方に右に折れると段々山の中に入って行きます。
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砂利道を上っていきます。
道の横は水路のようになっていて岩の間を水が流れています。
なんかこの水路とっても独特な見た目。
岩の間を細く流れているのですが、これは人工的に掘られたものなのか自然に出来た物なのか…。
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その水路の斜面に「太刀洗水」という看板が立っていたのですが、どうやらこの先の十二所果樹園に住んでいた上総介広常を暗殺、その太刀を梶原景時がここで洗ったと言われている場所らしいです。
どうでもいいですが、ずっと「十二所」は「じゅうにしょ」だと思っていましたが、今「じゅうにそ」と読むと知りました…。
そしてさっき通ってきた途中に「メゾン太刀洗」ってアパートがあった…。
その名前で良かったのだろうか…。
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ここからいよいよ朝夷奈切通に入ります。
鎌倉口には滝(?)がありました。
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ここからひたすら岩の道を上っていきます。
前日に雨が降ったせいか、両側の一段下がった水路だけでなく道の真ん中にも水が流れています。
こんな岩の道初めて見たので不思議な風景に見えました。
朝夷奈切通、前日が雨だったため、若干滑りそうなところはあれど、ほぼ地面が岩なので比較的歩きやすかったです。実際ハイキング…というか普通の街歩きの恰好をしてる人(あたしを含む。あたしは普通に日傘さして歩いてた。)もいました。
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この辺りが一番高いところ。
ちなみに朝夷奈切通の入口は鎌倉市でしたが、この辺りから横浜市内になったのか写真にも写っていますが、突然「落石注意」の看板がやたらと出現しだしました。
頂上付近の岩に掘られていた。
ここから下りになります。
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途中左に折れる道が出現。
↑右側の道を下ってきた。
下って左折すると熊野神社に向かう道です。
熊野神社へ続く道。
熊野神社に着きました。
上まで上がると立て看板が。
そこには、こんな山奥だからお賽銭回収できないし、盗られ放題になるからお賽銭箱は置きません、お心だけ頂戴します(横浜市)みたいな主旨のことが書かれていました。
ここから先ほどの朝夷奈切通と熊野神社の分岐点まで戻り山を下ります。
目の前に見えるは…。
横横(横浜横須賀道路)。
横横通過中。
無事に横浜側の出口を出ました。
住宅街の坂道を降りると鎌倉街道に出て来ました。
一応道の際に「朝夷奈切通」の案内看板が出ています。
少し歩いたところにバス停「朝比奈」があったので、そこからバスに乗り京浜急行「金沢八景」へ出て今日は終了。
ちなみにこの「朝比奈」のバス停。写真に写っているのは京急バスのバス停なのですが、すぐ後ろにもう一つ神奈中バスのバス停がくっついていました。
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さて、本日のお散歩(ハイキング?ハイキングと言う身なりではなかったけど…)の距離ですが…。
逗子~鎌倉~横浜と移動したものの、時間は3時間半。
ちょうど山から下りてきた時は17000歩くらいだったのですが、その後買い物をしたり食事をしたりしているうちにプラス1万歩くらい歩いたので以外に逗子と横浜は山を抜けると近いかもしれない。(そうなのか?)
以上、今まで行動圏内にあるけど、全く知らなかった名越切通、まんだら堂やぐら群、朝夷奈切通に行ってきたお話でございました。
がらさん、こんにちは。
切通とやぐら、昔から気になってます。大河ドラマ「草燃える」の頃からです(笑)
鎌倉時代の遺構ですよね。その時代あたりの遺構は近畿には少ないのですよ。
kinkachoさん。
こんばんは!
切通し、地形の成り立ちから山(しかも素材はほぼ岩)に囲まれている鎌倉に都市を作ったので、山を越えるのは面倒なため、切通しが掘られたのだと思われます。
調べると「鎌倉七口」なんて言われてるみたいですね。「巨福呂坂切通し」、「極楽寺切通し」「亀ヶ谷坂切通し」あたりは普通の舗装路になっているのであまり雰囲気はない(普通に通る道)のですが、「化粧坂切通し」「大仏切通切通し」もどうやら当時の姿に近い状態で残っているようです。
そして今回行った「朝夷奈切通」「名越切通」は完全に切り出したまんま…って感じでした。
やぐら群も他にもいくつかあるみたいですね。
お家が三浦半島で、結構平家の落人絡みや三浦氏絡みの言い伝えをちらほら聞いたことがありましたが、やぐら群については全く今まで知りませんでした。
地図をみるとやぐら群も他にもあるみたいですね。
ほぼ地元なのにこんなところがあるなんて知らなかったので、楽しめました。
近畿は…もっと古くなっちゃうのかしら?
あ、それとも戦国時代以降なのかな?